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4歳で自閉症スペクトラムと診断されるまでのこと

投稿日:2017年7月26日 更新日:

こんにちは。

発達凸凹情報サイト&発達凸凹アカデミー管理人の伊藤真穂です。

 

この記事は、

現在小学校1年生の次男が、
4歳で自閉症スペクトラムと診断されるまでのお話と、

子どものために何ができるのか、ということをお伝えしていきたいと思います。

 

自閉症スペクトラム障害とは?

私には個別支援級に通う小学校1年生の「しんちゃん」という息子がいます。

4歳の時に地元の療育センターでの診察で、

「自閉症スペクトラム障害」という診断をされました。

 

この言葉を初めて聞いたのは診断前ですが、

「え?なに??スペ?」

という感じでした。

 

「スペクトラム」には「連続体」という意味があります。

それまでは、

「アスペルガー症候群」や「自閉症」など別々の診断名だったのが、

その区切りは曖昧で、
人によって様々な要素があることからこの名前になったそうです。

虹は、赤から紫までの光のスペクトラムが並んでいるのですが、そう言われれば虹の境界線って曖昧ですもんね。

虹

 

小学校入学までの様子

この後の話は、わが家のしんちゃんの話です。

最初にお伝えしておきますが、

自閉症スペクトラムと言われる子の特性は本当に様々です。あくまで”一例”と思って読んで下さいね。

0歳のころ

このころ、障害があるなんて全くわかりませんでした。

そこそこ泣くし、
あやせば笑うし、
よく寝るし、
寝返りもお座りも普通でした。

特に困ったこともありませんでしたが、
今思うと・・というのもあります。

  • あまり笑わない
  • いつも母乳を吹き出す

笑ってもすぐに顔が真顔に戻るんです。
クールなひとだな、ぐらいに思っていました。

0歳7ヶ月ぐらいのころ。

家族写真も泣いて、
1枚も笑顔がありませんでした。

母乳は必ず、飲んでいる途中にグホッって吹き出すんですね。
ゲホゲホむせながら、それでもまた飲み続けるのです。

私の出が良すぎるのか、
どんだけガッツくんだと思っていました。

今にしてみると、
調整ができなかったんでしょうね。

このくらいの勢いで飲めばいい・・というのが、わからなかったのかもしれません。

1歳半過ぎて自然に離れましたが、
最後まで飲む度にブシュッってなってました。。

 

1歳のころ

旅行先のホテルであまりに動くのでベビーベットに入れたら出せと大泣き。

 

このころから、
いろいろ他の子より遅いなーというのがでてきます。

 

歩くのも遅かったです。

1歳8ヶ月ぐらいでした。

「うー」とか「あー」とか、
喃語と言われる言葉も少なかった気がします。

とにかく、声そのものをあまり出しません。

 

1歳半健診で「ワンワン」とか、
言葉が出てないことを指摘されました。

健診の半年後、

「その後言葉が出てきましたか?」と電話がありましたが、
「全く変わらないです」と答えた記憶があります。

 

0歳8ヶ月頃から公立の保育園に行っていました。

他の子より何かと遅かったですが、
12月生まれだからそんなもんだろう、と思っていました。

 

2歳のころ

2歳のころ

普通にイヤイヤ言ってました。

 

保育園では他の子たちとの差が目立ってきました。

一番は言葉。

相変わらず単語ひとつ出ません。

でも、

意思疎通ができていたし、
要求をいろんなアクションで伝えてくる人だったので、日常的には困っていませんでした。

 

この頃になると、
園の行事などで軽い寸劇みたいなのがあるのですが、

1人だけ何にもできません。

かぶりものは、泣いて剥ぎ取ってました。

 

やんちゃで元気な男の子でした。

本当によく転び、
いつも顔に傷を作っていました。

2歳になったばかりのころ、
京都旅行に行ったのですが出発前日に転んで、この顔・・・

京都は歴史好きの長男のために行ったのですが、四六時中しんちゃんを追いかけ回していたので、

観光の記憶がありません。

 

こーゆーところに入り込んでしまうしんちゃんを、引きずり出す兄。

とにかく活発でした。

実は長男が幼い頃、
慎重で冒険せず、たいして反抗もしない”いい子”だったことに、

私はモヤモヤしていました。

長男は子供らしからぬ、
何か達観したような大人っぽい子でした。

だから、

しんちゃんの向こう見ずな性格が嬉しくて、

京都の重要文化財の柵をむんずと抜き取るしんちゃんに、

怒りながらも心のどこかで
「こいつ、やるな」とニヤリとしていました。

まぁ、大変だったことは確かですが・・・

 

そして、

3歳児クラスに進級してすぐのころ。

 

保育園の先生にある日呼び出されます。

「しんちゃん、やっぱり他の子に比べてできないことが多いんです。

お母さん、療育センターって知っていますか?」

と、言われました。

 

初めての療育センター

2歳半に、初めて療育センターに行きます。

どのタイミングで「発達障害」という言葉を知ったのか、しんちゃんがそうかもしれないと思ったのかは忘れてしまいましたが。

 

それでもまだ「遅いだけ」と思っていました。

 

そこには、しんちゃんのタイプが影響していたんだと思います。

いわゆるネットにでてくる「発達障害の特徴」は、

  • 目を合わせない
  • 人に興味を持たない
  • こだわりが強い

など・・

 

しんちゃんは、
目をじっと見て相手の表情を一生懸命読み取ろうとしていたし、

人が大好きで甘え上手。

指示も通り、
目立ったこだわりもなく、
代替えがきくので、泣いても別のものを提示すればすぐにご機嫌でした。

ただ、やはり場所見知りというか、
新しい環境は苦手だった気がします。

また、

寝っ転がって車を走らせているのは好きでした。

それが視覚優位の子どもが、
タイヤの回転をよりリアルに見たいがためにやることだと知ったのは、

ずっと後のことです。

ミニカー

医師の診察の申し込み

最初の療育センターで、ソーシャルワーカーさんとお話をした時に「医師の診察を希望されますか?」と聞かれたのですが、

私は「まだいいです」と言いました。

ほんとに、
何もわかってなかったんですね。

認めたくないとかじゃなくて、
本当に、知らなかったんです。

年齢相応の成長をしていないということが、
どういうことなのか。

ゆっくりだけど
いずれ追いつくんだろうと思っていました。

 

それから3ヶ月ぐらいして、

「やばい。もうすぐ3歳だけど、この子全くしゃべらないし、おむつも取れる気配がない・・・」

そして慌てて療育センターに電話して診察を申込むも、半年後と言われました。

あと少しで3歳・・というところで、

私はやっと気づきます。

 

「この子には、知的な遅れがあるかもしれない」

 

3歳のころ

一番、大変でした。

私が、です。

 

なんだか、さっぱりわからない。

発達障害ってなんぞや?
療育ってなんぞや?

慌てて情報収集を始めます。(発達凸凹セミナーを開始したのもこの頃です。)

 

不安と焦りでいっぱいでした。

 

そして、

ここまで放置してしまった自分を責めだします。

「どうしてもっと早く気づいてあげなかったんだろう」

「もっと早く何かしていたら、変わっていたのかもしれない」

「こうなってしまったのは、全部私のせいだ」

「この子をなんとかできるのは、私だけだ」

 

そんな風に思って、

目についたものに片っ端から手を出します。

  • メールとスカイプでサポートしてくるABA指導
  • 近所の民間療育施設
  • 改善系の団体(”知的障害は治る!”と断言する謎のオッサンと面談)
  • 七田式
  • 食事療法のクリニックへ通う
  • タッチケア
  • 療育センターでの集団保育
  • 発達支援コーチを学びに淡路島まで飛ぶ

などなど・・

さらに、

「思えば、これまで仕事ばかりして子育てを一切していなかった。こうなってしまったのは、子育てから逃げていた自分のせいだ。これからはしんちゃんのために生きよう

なんて、

できもしないスローガンを掲げ、
自分を追い詰めます。

 

唯一の救いは、

たまたま近所にあった自由保育の素敵な園に出会ったことと、

私のこの暴走が、
半年ほどで終焉を迎えたことでした。

(できもしないことを頑張りすぎた結果、ストレスで家族に当たり散らすという、2才児よりめんどくさい母親になります・・)

 

本当に悲しいお話ですが、

この頃しんちゃんがどうだったか、何が大変だったかの記憶があまりありません。

私は、しんちゃんそのものを見れていなかったのです。

 

「普通の子に近づけよう」

「もっとよくしよう」

「もっともっと、できるように・・」

 

そんなことばかり考えて、

しんちゃんの毎日の小さな成長を、
認めてあげることができていませんでした。

できないことばかり目について、
できないことばかり責めていました。

できるようになったこと、
たくさんあったはずなのに。

 

4歳で初めてついた診断名

医師の診察の話に戻りますが、

3歳過ぎになんとか医師の診察を受けることができました。

その時は

「広汎性発達障害の疑いあり」

でした。

 

その1年後。

 

4歳の時の診察で、

「自閉症スペクトラム障害 」と診断されます。

 

 

この頃には、

私も「暗黒の時代」をくぐり抜け、
発達凸凹活動のおかげもあり、

診断名を聞いたところで、

「そりゃそうだ」と思えるまでになっていました。

 

このころのしんちゃんは、

少しづつですが言葉も出はじめました。

オムツが取れないことが、やはり大変でした。
(ただこれは周りが大変だっただけで、本人はあまり気にしてなさそうでした・・)

 

本人としては、

言葉がでないことで、

言いたいことをお友達に伝えられないことが、辛そうでした。

心の中には、
たくさんの言葉がある人です。

私にも、

「今日は園でこんなことがあってね」って伝えたいことが、たくさんありそうでした。

言葉がつまって、
いつも「うっうっ」って言ってました。

「〇〇したの?」
「◯◯ちゃんと遊んだの?」

YesかNoで答えられるんだけど、

違う時にどう違うのかとか、
本当はどうだったのかとか、

細かい所までわかってあげられなくて、
そのうちしんちゃんは伝えるのを諦めていくのです。

それが一番、つらかったです。

 

 

20分ほどかけて、

毎日自転車に乗って園まで通っていました。

「空がきれいだね」
「赤い花が咲いているね」
「クレーン車が見えるよ」
「もうすぐ着くよ」

ずーと、話しかけていました。

美しい花

信号で止まるたびに、
手を握りました。

足をさすりました。

 

「ぜんぶわかってるよ。大丈夫だよ。」って伝えたくて。

 

この頃私がしんちゃんのためにやったことは、

  • おうち療育(浜田悦子さん直伝)
  • タッチケア
  • ゆるい食事療法
  • キャンプへ行く
  • 外でたくさん遊ぶ
  • うちでゴロゴロしながら一緒に遊ぶ
  • 一緒に虫捕りにいく
  • 散歩する
  • 大好きだと伝える
  • 私は私で、自分のために生きる

4歳のころ

 

5歳のころ

年長さんですね。

0歳のとき、
あんなに笑わなかったしんちゃんですが、

「しんちゃんはいつもニコニコしていますよね」と言われるようになりました。

オムツが取れたのは、
5歳の終わり。

小学校入学までに取れればいいなと思っていましたが、年長の11月に取れました。

夜はしばらくはオムツでいいと思っていましたが、いきなり、とれました。

今だに夜のおもらしは、したことがありません。
(真っ暗な中、1人でトイレにいきます)

変わらず言葉は少ないですが、
ずいぶんと自分のことを伝えられるようになりました。

苦手なことはじっと座っていることや、
園の行事などでみんなと同じことをすることでした。

でも、

それを強制する園じゃなかったので、

しんちゃんはそんな自分も認めてもらいながら、
自分のやりたいことを、ひたすらやっていました。

5歳のころ

 

この全力で好きなことをしたことが、今につながっていると感じます。

 

夏前に就学前健診というのがあり、

そこで小学校をどうするのか決めます。

 

字も読めないし書けない

言語レベルは1歳以下

座っていられない

身辺自立ができない

 

間違いなく個別支援級を希望しました。
(どうしたいかは親が決めます)

そのころの私は、

普通級だろうが支援級だろうが支援学校だろうが、

本人が無理せず過ごせるならどこでもいい、と思っていました。

 

たまたま、

一番楽しく過ごせそうなのが、

個別支援級だったというだけです。

5歳のころ

 

小学校入学

ちょうど先日、一学期が終わりました。

一日も行きたいくないという日は、ありませんでした。

 

毎日、ランドセルをしょって、張り切って学校に行きます。

小学生の頃

5月ぐらいまでは校門の前まで行っていましたが、
最近は、お友達(と本人は思っている)を見つけるとダッシュで走っていってしまうので、

私は少し離れたところで、
門に入るのを見届けています。

 

勉強の時間は相変わらず苦手のようですが、

字はいつか書けるだろうし、読めるようになる。
(世の中のデジタル化に伴い、これもそこまで重要とは思いません)

 

それより大切なのは、

今しかないこの1日1日を、
本人が少しでも楽しく過ごすこと。

それが、学校だろうが家だろうが。

”居心地のよい場所”があることだと思っています。

 

診断名の意味

なんだかわからなかった時は、
診断名や医師の診察を受けることに、こだわっていました。

我が子に何が起きているのか、
診断名をもらうことでハッキリしたかったのです。

親にとっては「区切り」のようなものなのでしょうか。

 

診断名のつかないグレーゾーンと言われるお子さんのほうが、
親も子も踏ん切りがつかず、

辛いのかもしれません。

ただ、診断名に右往左往する必要はありません。

 

それよりも子どもが、

「いま何に困っているか」
「何が苦手か」
「何が得意か」

そこを見つけてあげることが、先です。

親が困っていること、じゃないですよ(笑)

 

 

子どものためにできること

 

お医者さんの診察を待つ間、
療育施設の空きを待つ間、

できることはあります。

 

  • 子どもを観察すること
  • 何かしたいなら親子にあった療育法をみつけること
  • 子どもが嫌がることを強制しないこと
  • いつでも何があっても、あなたを愛していると伝えること
  • スキンシップを欠かさないこと
  • 無理のない範囲で食事に気をつけること
  • 好きなことを思いっきりさせてあげること

 

長くなりましたが、

「何をどうしていいか大混乱」という、
かつての私のようなママに、

届くといいなと思っています。

最後までお読み下さり、ありがとうございました。

 
 
 

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