翔和学園 伊藤寛晃学園長 〜持って生まれたのは凸凹であって、生まれもって発達障害なのではない〜 

特定非営利活動法人 翔和学園 伊藤寛晃学園長にお話を伺いました。

翔和学園とは?

もともとの母体は、不登校や引きこもりの高校生たちを中心にお預かりしている、サポート校です。

大学に行ってもすぐに辞めてしまう。
専門学校に行っても、一週間もたずに辞めてしまう。
そんな子どもたちの高校卒業後の行き場所としてできたのが、はじまりです。

いざはじめてみたところ、どうしてこの子たちは社会にでられないのだろう?という疑問が湧いてきました。

もっと言えば、高校時代あんなに元気になって、自信をもって送りだしたのに・・・という気持ちがありました。調べて行くと「発達障害」というキーワードにたどり着きました。

そこにいる子、全員が何かしらの問題を抱えていることがだんだんわかってきたのです。

わたし自身は特別支援を志している教員ではなかったですし、組織としての指令も障害児教育をやる学校を作れという指令ではありませんでした。

なので最初は、怒られました(笑)

『誰が障害者の学校を作れっていったんだ!?』と。

ですが、これは結果論なのです。

突き詰めて考えていくと「発達障害」の問題に突き当たり、見過ごすわけにはいかなかったんです。
2002年のことです。

高校を卒業した子たちを対象としていましたが、3年たって高等部を作り、2006年からは小中学生を募集することになりました。
なので、特徴的なのは、高卒の大学部から作ってだんだん下へおりてきて今のカタチになったという所だと思います。

 

人間の生きていく気力を育てるとは?

学園の根本的な理念は、人間の生きていく気力を育てるです。
どうやって気力を育てるか?というところに、全ての活動を一本化しています。

例えば、凸凹の凸の部分をどう捉えて、どう伸ばすか?

これは徹底的に凸の部分を発見していくところからやっていきます。

一般的には、WISCを見ても この子はこれが苦手だから通級へ行った方いいじゃないか?というイメージや、特別支援は苦手さをどう支援していくか?というイメージでとらえがちだと思います。わたしたちは逆に、この子は何で出っ張っているのか?という、その出っ張りの部分をとらえて徹底的にやらせます。

そういう意味では、ハンディキャップだと思っていた発達障害をアドバンテージに変えていくということです。
こだわりだって、その特徴を持っていない人にとってはうらやましいくらいの集中力なわけですよね。

そういうものを徹底的に武器にしていきます。

また、ここ3年は運動にチカラを入れています。

こころの問題や問題行動、学力不振に関して、根本的な原因はカラダからきているという仮説を立て、まずは身体をしっかり整える取り組みをしています。文科省からも研究委託を受けています。

脳でいうと、皮質の前頭前野よりも もっともっと奥の脳幹の部分をどの様に育てて整えて統合していくかという課題に取り組んでいます。つまり、感覚統合のことですね。

実際のトレーニングでは作業療法士さんや理学療法士さんにも教室に入っていただいていますし、翔和学園の顧問ドクターである宮尾益知先生にも来ていただいています。

身体からアプローチすると、子どもたちの様子が劇的に変わってくるのです。

つまり、こころの問題をこころで扱うのではなくて、まずカラダからアプローチをするということですね。

例えば、離席が目立つ子の ちょっと隣のスペースに小さなトランポリンを置きます。その子がそろそろ(落ちつきがなくなる)かな?とこちらが思うよりもちょっと前くらいに(まだ余裕があるうちに)『(トランポリンを)10回とんだら戻ってらっしゃい』と声をかけています。

そのほかにも、呼吸法をはじめ、立つ、歩く、といった基本的な動作の習得も出来ていない子もいます。原子反射が残っている子が7割超えているのです。

本来なら、生まれて数か月で切り替わっていなきゃならない反射が、キレイに残ってしまっている。

姿勢が悪いからちゃんとしなさいと言ったって、字を書こうと思って下を向くだけでも、頭と一緒に背中が曲がって、姿勢が崩れてしまう。
そこは、本人も全く無意識なんです。動作の分離ができていないのですね。

 

他にも、サッカーでボールを蹴ろうとすると、手が一緒に動いてしまう・・・。
給食を運んでいると、いつも人にぶつかってこぼしてしまう・・・。

 

そういう問題を抱えている生徒が、心理的にストレスを感じてイライラしてしまうんです。

「本当は勉強を頑張りたいのに、集中できない!」って思っていることもありますよね。

なので、そういった身体に関わる問題を一個一個解決していくということを取り組んでいて、かなり成果が出ています。

 

インクルーシブ教育の落とし穴

インクルーシブ教育の落とし穴は、ゴールの設定です。

みんなと同じにすることや、友達に迷惑をかけないようにすること、先生に手をかけないことがゴールになっているとすれば、それは考え直さなければいけないと思います。

つまり、物理的にみんなと同じ空間にいられればよしというところへシフトしているなら、それは本人の成長や個性を全く保障していませんよね。ただ何となくそこにいるだけでは、子どもは成長しませんよね。

そういう意味ではいじめの問題も同じです。

表面的にいじめがない状態をつくるのでは、意味がありません。ましてや、先生が障害理解を保護者や生徒たちに訴えて、「だからみんなでこの子を大切にしてあげよう」という事でいじめがなくなるのだとしたら、これはひどい差別だと思っています。

それは上位の側からの優越感にぶら下がった平和にすぎません。

 

教育の根本は、そんなものではないですよね。

誰もが意義なく認める才能を見つけて、伸ばしてあげる。

あの子はウロチョロしているけどこんな才能持っているんだ、とか、

この子はこだわり持っているけど、とても真似できない部分があるというような、誰もが意義なく認める才能をみつけて伸ばしてあげる。

これも実はいじめの教育から発展していることです。単なる表面的な平等ではなくて、その子の本当の可能性を伸ばすことで、お互いがお互いの人間の可能性を心の底からみとめあう。

そういった人間の可能性を目の当たりにしたときに、障害を持っている本人や、周りでみている子達のココロの奥底が揺さられて、変わっていくんです。そういう教育をすることによって、いじめをなくしていく。それが、教育の根本ですよね。

道徳の時間に悲しい文章をみんなで読んで、いじめはいけないよね、とか、この人はこんな障害を持っていても頑張って生きているんだから優しくしてあげようとか、そのような教育とは、わたしたちは考え方が全く違うのです。その分、手間はかかりますけどね(笑)

翔和学園 伊藤寛晃学園長

先生たちにも学生たちにも、よくする話があります。
世界のひとつだけの花の話しです。

花屋の店先にならんでいる花なんて、相当エリートだからね。
君たち、基本的に花屋の店先に並んでないんだよ。

あれは、画一化されたもの、選別されたもの。
だから、あそこにいるだけで相当なエリートなんだ。

君たちは、花屋の店先に並べなかった。

でも、野に咲く自然な美しさに、人はこころ惹かれるんだよ。

だからそういう教室にしたいんだよ。

花屋の店先にならぶ花たちに、君たちはなってほしくない。
だからあの歌うたうな、ってね(笑)

でも、私も子どもたち大好きで、すぐ歌うんですけどね。(笑)

いじめや差別については、先生たちや生徒たちと、本当に病的なほど神経質にやっています。

やっぱりね、特別支援教育をしていると、どこかでわたしたちは子どもの障害のせいやハンディキャップに責任転換してしまえるんですよ。

しかも、それを『みんなそうだよね』と言ってもらえる環境ですからね。

絶対に、子どものせいにしない。
親のせいにしない。
環境のせいにしない。
地域のせいにしない。

とにかく、子どものせいにしないということをどこまで追求できるか?
そういうことを追求しながら、本当の意味での平等を目指しています。

 

 青春を謳歌することで、得られることとは?

特別支援教育や福祉の世界では、高校を卒業すると企業に就職するというのが常識になっている。

企業で働けること自体はすてきなことだと思っているが、わたしたちの一番の疑問は、
『なぜ障害者は高卒で就職しないといけないのか?』ということです。

わたしたちは18歳以上を対象にした大学部から作りました。

高校卒業後にある一定の学びの期間がある方が予後がいい、という実感があります。彼らの立場立って考えてみても、大学生活を思い切って満喫する、いわゆる時間的猶予が必要なのではないか?と思うんです。わたしたちだって、18歳の時と22歳の時はだいぶ違いましたよね。

高卒で就職することが悪いということではありません。でもそれは、本人が希望した場合であって、選択肢がそこしかないことが、非常に問題だと思っているんです。

翔和学園の場合は、青春を謳歌するというコンセプトの下、高校卒業後も学生生活を満喫します。
青春を謳歌した若者と、職業訓練だけをただ黙々と受けてきた子たちの差っていうのは、あとで大きくでるのです。

また、企業側からの視点で考えてみても、実は、同じことが言えるんです。企業が若者に何を求めているかというと、まずは、コミュニケーション能力。次に、熱意・意欲なんですよ。
作業能力やソーシャルスキルなんていう項目は、全然出てきません。

つまり、本人たちが働く現場では熱意や意欲のある若者がほしいのに、特別支援教育や福祉の世界ではソーシャルスキルを暗記させ、黙々と作業できる人材を育てているんです。この企業とのミスマッチを教育者側や福祉側がもっと気づかなきゃいけない、と思っています。

また、特別支援教育をうけて高卒から就職する場合、高校時代がほとんど就職訓練に充てられてしまう。
すると、彼らがまともに学校生活(勉強したり部活をやったり)できるのは、中学までなんですね。しかも、その中学でも、多くの場合は不適応を起こしてしまっている。

わたしは、これこそが差別ではないかと思っています。

だからわたしたちは、「大学部」という選択肢があるということを、もっと世の中に訴えていきたいんです。そして青春を謳歌した若者たちが社会にでていくと、予後がどのくらい違うのかを知ってほしいのです。

翔和学園の就職率は70パーセント近いです。東京都の福祉施設の就職率がだいたい25パーセントですから、倍以上ですね。
さらに、翔和学園の卒業生の就職したのちの3年以上の定着率が8割超えているんです。

これは、きちっと本人たちの青春を謳歌させ、生きる気力をしっかりと育てているからです。

精神科医師の本田秀夫先生は、「意欲をエネルギーにたとえると、思春期まではエネルギーを蓄える時期です。思春期に達したところで意欲のエネルギーがある一定の水準を超えていると、それ以降は、試練に直面しても、それを克服していこう意欲が自然に湧いてくるようになります」(※1)とおっしゃっています。

つまり、例えば就職した後に辛いこと・壁にぶち当たることがあったとしても、「意欲のエネルギー」を充分に蓄えている若者は、それを乗り越えることができるということです。

私たちは、本田先生がおっしゃる思春期というのは学校にいる期間のことで、いわゆる学生時代が意欲のエネルギーを貯める時期だと考えています。

そのように考えると、高校から就職訓練をしている若者と、20前後まで青春時代を謳歌している若者とでは、そもそも思春期の長さが違うのです。

また、児童精神科医の佐々木正美先生は、「子どもは子どもの要素を使い切ってからでしか、大人になってはいけないのです。」(※2)とおっしゃっています。

本人が希望しないままに高校から就職訓練をしているケースでは、子どもの要素をため込んだまま、周りが大人の要素を詰め込んで社会に押し出しているということが起こっているのだと思います。

その結果、不幸なことがいっぱい起きているじゃないですか。

 

しかも、悔しいことに世の中の人は、発達障害の人は事件を起こす人だと思っている。
でもそれは、実は大人の要素を無理やり詰め込まれて、外に放り出されてしまった人たちが、障害特性とは別次元のところで、起こしている犯罪なのです。

わたしは、このことをもっと世の中に訴えたいと思っています。

障害者はなぜ高卒で就職しなければならないのか?という問題提起を、もっともっといろいろなところへぶつけていきたい。と思っています。

その問題提起を正面から受け止めてくれたのが、長野県です。

2014年に、長野県から誘致をうけて、長野 翔和学園大学部ができました。長野県の発達障害をもった若者たちが、就職や大学・専門学校進学に代わる第3の選択肢として、翔和学園大学部に通っています。

もうひとつ言えば、やはり発達障害があるのだけど、ものすごく高IQの子たちが大学には相当数在籍していると思います。でも、その先がないのです。その人たちも、結局大学を卒業した後、どこにも行き場所がなくなってしまう。

そういった若者たちも何とかしていかないといけません。

受験には強いけど、それだけでは、社会にでてから辛い。発達障害の若者たちを受け入れる大学も、その若者たちが出て行く社会も、なんとかしていかないといけません。それには、高校卒業後の支援が極めて重要だと思っています。

 

ママたちへのメッセージ

児童精神科医の杉山登志郎先生は、「発達障害は、発達凸凹に不適応が合わさった状態なんだ」とおっしゃいます。

持って生まれたのは凸凹であって、生まれもって発達障害なのではないということです。

わたしたちもそう思っています。

そんな発達凸凹のある子どもたちを、社会一般の枠組みに無理やり押し込めようとした時におこる摩擦が、発達障害だと思っています。

本当に純粋に育った発達凸凹の子ども達は、大人になってから、きちっと社会で活躍できます。

自分の武器を明確に知っていて、しかも自分の苦手さも明るく受け入れている人たちは、必ず大人になってから成功します。

逆に、自分の苦手さを受け入れられずに隠してしまい、しかも自分の得意さにも気付けず、息を潜めながらただみんなと一緒に過ごすことを目指してきた子たちは、大人になってからも難しさが残るんです。

だから、せっかく神様から授かった凸凹を大切に大切にして、凸の峰をどこまで伸ばしていけるかということを追求するというのが、とっても大事なことだと思います。

うちの子は障害があると決めつけるのも、
うちの子は障害者じゃないと決めつけるのも、

根本は同じ。

どちらも、その子特有の発達の凸凹に目を向けていない意味では、現象が似ています。

そもそも子どもは千差万別なのですから、その個性をどう捉えるかというだけの問題です。

今は教室でウロウロしている子でも、20歳になった時には離席なんて屁でもなかたって思うようになりますよ。社会ってもっと大変ですから。

今、小学校の時は離席で悩んでいたお母さんたちが『あれって(離席が多かったこと)、なんでもなかったんですね』と言っています。

むしろ、どうしてウロウロしているのか?をとらえるのが大切なことなのです。

感覚の問題があって、ウロウロすることで身体を刺激しているのかもしれません。他に興味を引くものがあって歩いているのかもしれません。授業がつまらなくて退屈しているのかもしれません。その理由次第で、対応も変わります。

そして、そのウロウロする理由の中に、その子の才能が隠れているかもしれません。

何をどうすればその一人ひとりの凸凹が幸せの設計図になるのかを、私たちは、保護者の皆さんと一緒に考えていきたいと思っています。

 

※1
本田秀夫 2013.自閉症スペクトラム~10人に1人が抱える「生きづらさ」の正体~.SB新書

※2
佐々木正美2004.いい人間関係ができる子に育てたい~友達作りの能力をのばす親の工夫~.新紀元社

 

↓↓↓さらに子どもを伸ばすなら

発達凸凹アカデミー

 

インタビューアー

浜田悦子先生

<おうち療育アドバイザー浜田悦子>
『元発達支援センター指導員』で『自閉症スペクトラムの息子の母』という2つの経験を生かし、同じ悩みを持つお母様方に、家庭でできる療育アドバイスや、カウンセリングを行っている。
日常生活や社会性の悩みへの対処法を、具体的に指導。
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