できることに、より‟できたね“と気付くということ〜動作法〜

こちらの記事の続きです。

発達障害の子どもの姿勢をつくる動作法とは?〜からだの動きを媒介にした心理療法〜

質疑応答

インナーマッスルを整えれば体幹が鍛えられ、姿勢が整うというイメージがありますが、インナーマッスルを鍛えれば、姿勢は整いますか?

寝返りがうてれば、インナーマッスルという部分については、ある程度ついています。

立って歩ける子であれば、間違いなく最低限のインナーマッスルはついています。

そういう意味では、インナーマッスルを鍛えたら整うというよりも、(インナーマッスルを鍛える、鍛えないは置いておいて)からだの使い方が変わると整います。

一番大きいのは骨盤ですね。骨盤の使い方です。

 

大人の方は、生活があって、仕事があって、家事があってという、自分のなかで色んな役割がありますよね。

その中で、何とか自分のからだの動きを、ごまかしながら過ごしていけます。

 

ところが、子どもたちは多くのことを吸収する時に、からだというものが、ある意味ダイレクトに関わってくる。

ですから、からだの使い方が間違っているのを正しましょうというのではなく、今よりも違う使い方があるということに気付く、ということが重要かなと思います。

今の有り様がダメということではなくてね。

子どものラジオ体操や走る姿を見ていると、からだの使い方が分からないのだろうなと思うことばかりです。

それは、ボディイメージの問題でしょうね。

もっというと、経験体験の問題かもしれません。

どういうことかというと、僕たちは外界に何かに関わろうとする時に、一番大きな窓口は五感です。

そして、その中で一番対応しているのは、手。

手なのです。

サプリメントmog

手でにぎり、手で運び、手で支え・・・

目と手の協応であったり、目で見ながらやるということもあります。

ですから、視覚ということも非常に重要です。

五感で外界に関わっていくのです。

 

その際にその触覚と言われる手を使っていく。

ラジオ体操というのは最たるもので、先生の様子をみながら自分のからだを動かすために目と手を協応させながら模倣をするわけですね。

けれど、特に発達障害のお子さんは手を狭い範囲で使っていることが多いのです。

それも自分で見える範囲に限られます。後ろで手を使うことは、あまりないと思います。

 

走る時も特徴的で、前で手を振ります。

本来走る時は、肘を後ろに引いて回転運動をします。

ラジオ体操もそうですが、前には行くけれど後ろには行かないのです。

からだを自分のいつも使っているテリトリー以外のところに出すということが苦手なのです。

 

ですから、単純に腕を振りましょうといっても、あまり腕が上がりません。

それが、どんどん常態化してくると慢性的にそこまでしか上げませんので、それ以上あげると、慢性緊張が入り痛みを感じてしまうことがあります。

これは大人でもそうなのです。

緊張があって、あまり動かせないというのは怖いとか、そういう想いもあるのでしょうか?

あります、あります。‟ 怖い “の最たるものは、痛いです。

痛いというのは、物理的に生理的に痛くなっています。

子どもたち・・・僕たちもそうですが、痛いの前に痛くなったらどうしようという不安があるのです。

それがからだを強張らせるというのがありますね。

発達障害児の子どもたちの、「キレる」や「癇癪」がよくなると伺ったのですが、そういう効果もあるのでしょうか?

キレるとか、アンガーコントロールと言われるような、自分の感情をどうコントロールするかという時にからだのリラクゼーションコントロールができると、そういう意味では怒りや癇癪に対するという前段階でコントロールできるかもしれませんね。

ただ、今ここで癇癪を起こしている状態で何かをやったら効果がありますよ、ということではないですね。

本人のコントロールの仕方ですね。

 

自閉症や発達障害のお子さんたちの癇癪やパニックというのは、そこに誰か大人が寄り添っていてくださるとそうならないとうことがあります。

ということは、そこでのコミュニケーションですよね。

コミュニケーションがうまく図れるようになり、円滑になっていくと、急にキレることが少なくなります。

ですから、人との付き合い方が、どれだけうまくなるか?どれだけ人と良い体験をするか?で変わってきます。

 

からだの面から言うと、怒りやパニック、癇癪は前段階でグ―っとチカラが入ってきます。

チカラが入ってきた時にチカラの抜き方がわかると、少しのことでチカラを入れなくても済んじゃった、あるいは、チカラが入りそうな時に他の人に何かを伝えることができたり、他の人と違う活動ができたりすると結果的に怒らなくて済む、というそういうことでは動作法は非常に適応していると思っています。

 

こちらの指示で行動を促す、ということとは逆のイメージを受けました。

こちらが主導権を持ってやらせる、ということよりも、子どもたちが自分たちでやっていく。

子どもたちが自分でやっていく時に、それをこちら側がサポートする。

子どもたちがからだを通していい体験をするという、主は子どもです。

 

ところが、ある子どもさんになってくると、主は子どもさんですよというと、じゃあ僕の勝手にしたらいいやろ、ということが出てくる訳です。

そういう子には、主導権はこちら側にありますよ、

自分勝手じゃなく、最後まで取り組もうね、という課題設定になりますね。

その子の課題性に応じてやっていくということですね。

 

それから、これは僕の持論ですが、子どもたちの多くは、彼らの多くは小心者が多いんです。彼らは失敗体験が怖いのです。

失敗体験をするくらいなら、その活動を避けて通りたいと思っています。

そういうことからすると、失敗体験をさせない、もっというと、できないことをできるようにするという方法ではないということです。

 

できることに、より‟できたね“と気付くということです。

もしそれで、‟できた”と思えたら、これもチャレンジしてみない?という勧め方をしていきます。

 

できること探ししかしません。

できないとこ探しはしないということですね。というのが原則です。

(実際に、動作法を体験させていただきました)

本当に、一瞬背中の真ん中あたりを押していただいただけですが、腕の可動範囲が明らかに広がりました。

そのように、自分のからだの中で、今できた!動かせた!という気付きができた!という気持ちになれるのです。

先程の話に戻りますが、姿勢を正しなさい、まっすぐにしなさい、と姿勢を作ることを目的としていると、はい休憩していいですよ、となった時に、崩れちゃうんですね。

でも、今まっすぐになったのは、まっすぐになったこと自体が気持ちがいいということなので、持続しやすいのです。

これは、次の活動にもつながりやすいということです。

 

姿勢を整える、重力に合わせる。

それによって、活動性も促していきましょうという、いわゆる動作学習、からだ学習の主たる目的になってくると思います。

 

 

これはやはり、定期的にやっていくことで効果というか緊張がつきにくくなるということでしょうか?

例えば、今日は疲れたからゆったりお風呂につかりましょうというようなものと一緒ですね。

僕たちはこういうからだのことをやっていますが、ついついからだに目が行ってしまうんですね。

歩いている人をみて、あぁあの人腰が痛そうだな、とかね(笑)

足痛そうだな、とかね。

多分それは、日常お母さんたちが子どもさんたちを見ていても、今日この子はちょっとしんどいかなとか、元気ないな、とか表情やありようを見て判断しますよね。

その時にお母さんが、ちょっとおいで、からだやってあげるから、と。

そこで「今日も上手に上がるね」とか「ちょっとラクになったんじゃない?」と言って送り出してあげる。

定期的にという言葉からすると、それくらいの頻度でやってあげるといいかもしれませんね。

逆に、子どもの方からくるかもしれません。やってよって。(笑)

 

僕の娘のひとりが、24歳で保育士しています。

赤ちゃん担任なので、とても疲れるそうです。

帰って来ると、僕の前に座るんですよ、やってって(笑)

奥さんにも、はよ、って(笑)

 

本人からのSOSが出てくれば、また寄り添うことができる。

そういう意味では、ある意味メンテナンスができますよね。

 

何とか技法となると、どうしても堅苦しくなってしまったり、そこに対する療育的な意味は何か?理論は何か?という風になってきてしまう。

もちろんそれはありますが、(それは置いておいて)親子のコミュニケーションの中で、気持ちのリフレッシュをからだの学習の中でやっていくというイメージがわかりやすいかなと思っています。

 

僕は、そんなことを思っています。

 

MABA こころとからだの発達相談塾

臨床発達心理士・臨床動作学講師・臨床動作士

中野弘治先生