この記事は、4人の発達障害のお子様を育てたお母さんであり、2006年より全国で、発達障害、不登校、子育てに関する講演を行う堀内祐子さんに、ご自身の経験から学んだ子育てのヒントを語っていただきました。
発達障害と分かるまで
わが家の長男は、赤ちゃんの頃はよく眠る、育て易い子でした。
長女がよく泣く赤ちゃんだったので、長男の育て易さに感動するくらいでした。
赤ちゃんのころ
8ヶ月で歩くようになってからは、ちょっと変わった子だなーと思うことがありました。
靴下や靴を履くことをひどく嫌がるのです。
家の中は靴下を履かなくてもいいのですが、外に行く時はそうは行きません。無理やり履かせると怒るので、大変でした。
ベビーカーでお出かけならかまいませんが、公園で遊ぶときに困りました。
仕方なく、なんとか厚手の靴下を履かせ、靴は諦めました。
しばらくそんなことをしていましたが、今度は寒くなってきたので長袖を着せると、長袖が嫌だと、袖の部分を食いちぎるようにずっと噛んでいました。
しばらくすると諦めるのか、慣れるのかそういうこともしなくなりました。
2歳ごろ
2才くらいになると、サッカーボールを蹴って遊ぶことが好きになり、毎日、ボールを蹴っていました。
ところが雨がザーザー降っていても、「アッカー(サッカー)やる」と言って、外に飛び出して行きます。
もちろん、家の中の遊びを提案しますが、聞く耳をもちませんでした。
仕方なしに傘を持って長男を追いかけるという状態でした。
お買い物に行く時も、一度「行かない」と言うと、てこでも動きませんでした。
幼稚園のころ
3才で幼稚園に行きましたが、園バスに乗るといつも泣いていました。
そして、幼稚園では、なかなか絵を描かなかったようですが、ありがたいことに先生は無理やり描かせることはなかったようです。
ある日、イルカを見て帰って来た長男は「ケン、絵、描く」と言って自分からイルカの絵を描きました。
画用紙いっぱいに描かれたイルカがステキだったので、「ステキに描けたね」と言って早速飾りました。
その後、長男は幼稚園でも絵を描くようになりました。
長女は早くに文字に興味をもちましたが、長男は全く興味を示さず、字がかけないまま小学校に入学しました。
小学校のころ
小学校に入学してから、なんとか字は書くようになりましたが、宿題も嫌がり、授業中もぼーっとしていることが多かったようです。
ただ先生が横に来て、ちょっと教えると直ぐに理解できていたようです。
宿題をやらない他に、
プリントを家に持ってこなかったり、
学校の机の中がいつもクチャクチャだったりしました。
参観日に行ってみると、
毎回消しゴムで何やらずっと消していたり、ズボンの紐をいじっていたり、何かしら手を動かしていました。
時々、授業中スーっと立って窓辺で、外を見ていたりしたようです。
困っていたこと
それより困ったのが、
私の言うことを聞かない、
同じことをひたすら言い続ける、
パニックを起こす、
同じ靴しか履かない、
家の家具の配置をちょっと変えただけで怒る、
弟の寝息がうるさいと言って夜に弟を叩き起こす・・・
トラブルは毎日続きました。
その頃から、
長男は何かあるのではないか?と思い始めました。
小学校5年 初めての診断
小学校4年生で東京に引っ越してからは、段々に遅刻をするようになりました。
その頃から私は、
長男はADHDではないか?と思うようになりました。
不注意、多動、衝動性の強さが 目立ちました。
担任の先生も「わたしも、そうなのではないかと思います」とおっしゃっていました。
5年生になり、教育相談所を経てクリニックを受診しました。
ところが診断結果は意外なものでした。
アスペルガー症候群という診断
「アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム症)にADHD が被っている」
私はその時はアスペルガー症候群がどういうものか、全く分かりませんでした。
知的な遅れを伴わない自閉症であると説明された時には、混乱しました。
それだけでなく、臨床心理士は長男を見て「よく、ここまでひどくしましたね」と言い放ちました。
それは私の悪戦苦闘の10年間の子育てに対する評価でした。
悔しくて、悲しくて、
仕様がありませんでした。
診断後
しかし、その反面、長男の育てにくさは障害から来ているものだと分かり、ほっとする気持ちもありました。
クリニックでは薬が処方されましたが、長男は「薬にコントロールされるのはまっぴらごめんだ」と言って飲みませんでした。
大変さは続きましたが、
本を読んだり、講演を聞いたり、通信制の大学で学びながら、絶えず長男にどのように接したら良いか考えました。
また、長男の言動をよく観察し、考え、試しにやってみるということを繰り返しました。
うまく行くこともあれば、そうでないこともありましたが、今までどうしたら良いか全く分からなかったので、方法はあると思えたことは、途方に暮れていた時期に比べると、ずっと良かった気がします。
やってみて良かったこと
実際にやってみてよかったことを、いくつかご紹介します。
話し方
・声を低めにする
・スタートとフィニッシュをはっきりさせる
(ケント、お話するから聞いて………
………終わり)
・伝えることはシンプルに
家具を勝手に動かすと怒る
・本人に動かす前に許可を求める
・「いいよ」と言ってくれるまで勝手に動かさない
・「いいよ」と言ってくれたら気が変わらないうちに動かす
・終わったときに必ず、お礼を言う
(ケントがいいって言ってくれたお陰で使いやすくなった。ありがとうね)
同じことを言い続ける
・自分で選択してもらって、腑に落ちる
・気持ちの切り替えを助ける………
パニックや感覚過敏についても、色々工夫をしました。
心が満たされる
小学校5、6年生の頃の長男はあまり笑わなくなっていました。
私自身も、長男のこだわりやパニックに付き合いながら、長男をかわいいと思えなくなっていて、親子共々苦しい時期でした。
ある日、毎日、毎日同じことを言い続けている長男にがまんができず、私は長男の前で大泣きをしました。
そしてその辛さをぶつけるように、まだ仕事中の夫に電話をしました。
仕事中と言っても、もう夜中でした。
夫は私の話を一通り聞くと一言「おれが悪い」と言いました。
意味が分からず私が「悪いのはケントでしょ」と言うと、夫は「そんなに辛い思いを、お前だけにさせているおれが悪い」と言いました。
「この辛さを夫は分かってくれていた」
そう思ったときに初めて、私は笑わなくなった長男の胸の内に心が向かいました。
「ケントが笑顔になることをしよう」
「ケントの心が満たされることをしよう」
そんな思いが、私の心に湧き上がってきました。
とっておきの私のお菓子をケントと一緒に食べたり、学校に行けた日は「頑張ったね」と声をかけました。
そういう小さなことを積み重ねました。
そんなある日、私は何年ぶりかで、長男をかわいいと思いました。
現在の様子
その長男も今は24才、自立し、友だちと事業を立ち上げて頑張っています。(一緒に各地で講演なども行っています)
高校時代にたくさんのアルバイトを経験して、長男が出した結論は「おれは人に使われるのは嫌だ」
そして、数年間の準備の後、事業を立ち上げました。
中学校のときは学校も休みがちで、LDのため、字も書かないので、中学3年間オール1でした。
高校に行っても、何度もバイクの事故にあいました。
本当に大変な子でしたが、いつも自分の頭で考えて、強い意思をもち、エネルギーあるれる子でした。
発達障害はおれの武器
長男の言葉をご紹介します。
「普通の人間はいっぱいいるだろ。アスペルガーは200人に一人くらいなんだろ。じゃーおれはアスペの方がいい」
「普通はいろんなことが平均してできると思うけど、アスペはできることとできないことの差が激しい。
できないことはできないんだけど、できることは誰にも負けない。社会に出たらその方がずっと良い」
「発達障害であることは、もはやおれの武器だね」
「発達障害であることをどう思っているかって?
発達障害なんてどうでもいい。
おれはおれ。
堀内ケント!」
長男はその時々で、色々なことを言ってきましたが、その時の正直な思いなのだと思います。
「おれはおれ、堀内ケント」という言葉に大切なことが込められているように思います。
自閉症スペクトラム症のケント
ADHDのケント
LDのケント
その前に彼は、堀内ケントである。
そういう特性は、長男の一部なのだと思います。
しかも、その特性は社会に貢献できるすばらしい力を秘めています。
※NHKハートフォーラム「発達障害の子どもたち~“自立”をめざして~」より
肯定的な未来を思い描く
発達障害をどう捉えるか?それぞれで違うと思います。
思いは肯定的なものも、否定的なものも、全て伝わって行きます。
子どもたちの周りにいる親や先生の思いは、子どもにしっかり伝わります。
「この子はきっと立派なおとなになる」
「幸せなおとなになる」
そういう思いが伝わって行きます。
彼らの未来は明るいと、私は信じています。
この記事を書いた人
堀内祐子
発達障害をもつ4人の子供の母親。2005年より星槎大学で発達障害について学ぶ。2006年より全国で、発達障害、不登校、子育てに関する講演を行う。自閉症スペクトラム支援士、特別支援士、傾聴心理士。
HP→ぎふてっど
アメブロ→ぎふてっど
最新の公演情報はこちらから(長男ケントさんもご一緒の講演もあります)
〜著書〜
発達障害の子とハッピーに暮らすヒント―4人のわが子が教えてくれたこと
発達障害の子が働くおとなになるヒント―子ども時代・思春期・おとなへ
ママからのご質問に答えていただきました↓
『4人の発達障害を育てた先輩ママに聞く 子育てを楽にするヒント』