お子様の現在の年齢と性別
長男 12歳 中学1年生(多動性・衝動性を伴う自閉症)
乳幼児期(0~2歳)の様子
赤ちゃんの頃は、こちらからの反応もとてもよく、表情や喃語も豊かで、よく笑ってエクボの可愛い子でした。
10カ月頃には「パパ、マンマ」など話し始めていたので、まさか自閉症だとは気が付きませんでした。
ただ、布団や毛布を体に掛けて寝ることができないなど、感覚の過敏さが気になっていました。
1歳を過ぎた頃から、自分の思い通りにならないと、頭を壁にガンガンとぶつけて、かんしゃくを起こすようになりました。
多動もひどくて、じっとしていられずに、かんしゃくも、どんどんひどくなっていき、他の子との違いが目立つようになってきました。
少しずつ増えていた言葉も消失していき、「何だかおかしいな」と不安を感じる日々でしたが、
1歳半検診でも2歳児検診でも「問題ありません」と言われてしまい、不安は強まるばかりでした。
また、言葉は増えないのに、50ピースくらいのパズルをパッーと出来てしまったり、数字やアルファベットをすぐに覚えたりと能力のアンバランスさを感じていました。
そんな中、とにかく多動がひどくて、お友達とも全く関わろうとしないので、未就学児対象の教室に週1で入れることにしました。
母子分離の始まりでしたが、泣いて、泣いて、泣き続け、慣れるまでには3カ月程かかりました。
また、幼稚園入園に向けて、トイレの練習をスタートしたのですが、これが、とにかく大変でした。
こだわりが強くて、パンツからオムツにかえてあげるまで、おしっこを7時間近く我慢し続けて、親の方が結局、降参してしまいました。
激しい偏食にも悩んでいた時期でした。
食べられるものが数品しかなく・・・味付けや見た目などを工夫して作っても、全く食べてくれないので、料理も苦痛で仕方ありませんでした。
未就学児(3~5歳)のころ
これほど悩んでいたのに、3歳児検診も何故だか「問題ありません」と通ってしまい、
「3月生まれだから遅いのよ」
「お母さんが神経質になりすぎ」
などの周囲からの声に孤立感を深めていました。
(10年近く前は、小児科医の間でも、発達障害に対する知識が浸透していなくて、多くの子ども達が見過ごされていました)
「これは絶対に私の気のせいなんかではない!」と私の中で不安が大きくふくらみ、病院に連れていくと、3歳5か月で「自閉症」という診断がおりました。
「あぁ、やっぱりそうだったのか」という思いと、「一生治らない」という残酷な言葉が胸にささって、息子の寝顔を見ては毎晩、涙を流していました。
年中になり、自閉症の子どもを受け入れてくれる幼稚園に入園しました。
そこでは、模倣が苦手な息子にも工夫をして教えてくれるなど、いろいろな経験をさせてもらいました。
私にとっては、同じ自閉症の子どもを持つ、お母さん達との繋がりが出来たこともありがたくて、大きな慰めと励ましになりました。
小学校1~3年生ごろの様子
地域の特別支援級に進みましたが、支援級の先生達は普通級からきた先生ばかりで、自閉症への知識や理解がない方がほとんどでした。
正直、先生達の対応は唖然とするようなものも多く、特別な配慮もないので、息子の行動がどんどん荒れていきました。
今、何をするのかなど、見通しがきかない環境で、自閉傾向が強い息子にとっては、不安が強かったのだと思います。
先生にお願いをしても、ピンとこないような感じだったので、結局、遠方から、ABAの専門家に依頼して、学校に来てもらい、支援級の先生への指導や話し合いなどをお願いしました。
先生達も専門家の話を聞いて、自閉症についての対応を初めて学んだとのことで、感謝をされてしまいました…。
現場の先生達も、相談をするところがなく、どうしたらいいのか分からなくて、本当は困っていたのだなぁと分かりました。
2年生の時の担任は、星槎大学の通信教育で特別支援教育について学び始めるなど、一生懸命、自閉症について勉強をしてくれました。
ですが、残念なことに、3年生になって担任が変わってしまい、先生になりたての新人の方がなってしまい、またまた息子にとっては、苦難の日々となりました。
小学校4~6年生ごろの様子
引き続き、3年生の時の新人の先生が担任になってしまい、息子の行動はエスカレートしていきました。担任の先生からは「薬を飲んでください」と何度もすすめられ、主治医に相談をして薬を服用することになりました。
一旦、息子の行動は落ち着いたように見えたものの、抗精神薬の副作用が強く、給食が食べられずに、夜は眠る事もできないほどでした。
息子のそんな辛い状態を訴えても、先生からは「1日の中で1食くらい食べなくても死んだりしませんから」との言葉が返ってきました。
まずは、薬を第一選択にするのではなく、環境を見なおして整えることが第一優先だと思うのです。
ですが、市内には支援級が2つしかないという状況や、通常級からLDなどの軽度の子達がどんどん転入してきて、軽度の子ども達が増えていて、軽度の子が対象の教育内容となっていたので、息子のような自閉傾向の強い子どもに対する配慮は、先生は全く考えられないという状況でした。
そんなこともあり、5年生になり特別支援学校へと転校を決めました。
支援学校の先生達は、よく勉強をされている方も多く、「まずは環境設定」という考えなので感激して、支援級の先生達との対応の違いに驚き、「早く転校をすればよかった」と心から思いました(笑)
転校をして、息子も行動が落ち着き始めて、学校にも楽しく通えるようになりました。
何より、支援級のときには味わえなかった「安心して任せられる」という安心感を、支援学校の先生方には感じられたのが大きかったです!
現在の様子
息子は中学生になり、「思春期なのかな?」と思う場面がでてくるようになりました。
親に反発したり、甘えたり・・・幼いままに感じていても、他の子ども達と同じように、自我が強く芽生えて、ホルモンバランスも乱れてくるのだなと感じます。
また、周りでも、自閉症の子ども達は思春期になると、癲癇発作を起こす子が多かったので注意をしていましたが、息子も、てんかんの部分発作が出るようになりました。
ママたちに伝えたいこと
自閉症の子どもを育てていくのは、しんどいなぁと思う事も多く、心が折れそうになる時も多々あると思います。親も心身共に鍛えられます。
なかなか周囲からの理解も得られなくて、つらいことも沢山ありますね。
私も涙が枯れるほど、泣いて、泣いて、泣きました。
一人で辛い思いを抱え込んで、頑張りすぎて、心が壊れてしまわないで欲しいです。
同じ想いを乗り越えて、少し先を歩いているママ達がそばにいます。
本来の療育の目的
小さい頃は、
「普通の子どもに近づけたい」
「もっと療育を頑張れば、普通の子に近づけるのでは?」と、
療育を頑張るママ達も多いと思います。
私も、ありとあらゆる療育をしてきたので、その気持ちはよく分かります。
ですが、
療育の本来の目的とは、
子どもを普通の子に近づけることではないはず…。
子どもの本当の幸せとは、
何なのでしょう?
普通になることが、
子どもにとって幸せなのでしょうか?
療育熱心なママほど、子どもの小学校入学と同時に壁に直面して、ママも子どもも、つぶれてしまった人達を何人も見てきました。
療育に熱心になりすぎているママには、一度、立ち止まって考えていただけたらなと思います。
個人的な意見としては、
情報処理に困難を抱える子ども達が、
見通しを持って、
生きやすいようにする道を整えてあげることが、
療育においては大切だと感じています。
子ども居場所作り
これから、子どもにとっては、
まだまだ長い人生が続きます。
子どもは学校卒業後は、地域に帰っていきます。
地域で親の会などにも参加したり、地域の人の中に子どもの支援者を増やしたり、子どもの居場所を作ってあげることは、親の責任かなと感じます。
親亡き後の子ども達の人生。
どこで暮らすのか、どんな人達に囲まれて暮らしていくのか・・・。
自分が死んだ後の子どもの「生活設計」も、一度考えてみるといいかなと思います。
ママは頑張り過ぎないで
最後になりますが、このサイトをご覧になっているお母さん達は、本当に頑張っている方が多いと思います。
どうか、
お母さん自身の人生も大切にして欲しいなと思います。
自分のことを大切にできて、
お母さん自身の気持ちが満たされると、
それが結果として、
子どもにも良い影響を与えます。
1日のうち15分でもいいので、ご自分の好きなことを、自分のためだけの時間に使ってあげてください。
少しずつ、
気持ちに変化が生まれてくると思います。
悲しみを乗り越えた人にしか得られない、優しさや強さを持っている仲間がたくさんいます!
どうか一人で悩まないで、仲間を見つけて、みんなで悩みもわかちあっていきましょうね。
2016年7月